【マツコ&有吉の怒り新党】アジア系選手のパイオニア!マイケル・チャンのあきらめないテニス【8月26日】

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頭脳と根性!身長差のハンデを乗り越えテニス史に名を刻んだマイケル・チャン

 8月26日の『マツコ&有吉の怒り新党』『新3大○○調査会』は、『新3大・マイケル・チャンのあきらめないテニス』でした!

 チャンは、身長173cmと欧米の選手に比べると小柄ですが、驚異的な粘り強さと頭脳で、アジア系選手のパイオニアとなった存在だそうです。錦織圭選手のコーチをしていますよね。

怒り新党 マイケルチャン テニス

[ninja big]
1989年 全仏オープン4回戦 vsイワン・レンドル

マイケル・チャンのプロデビューは、16歳。
デビューの1年半後には世界ランク19位まで昇りつめるのです。

怒り新党 マイケルチャン テニス

そんなチャンは、17歳で出場した全仏オープンで、当時の世界1位のイワン・レンドルとテニス歴史に残る激戦を繰り広げるのです。

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 初っ端、世界1位のサーブの勢いに手も足も出ないチャン。あっという間に2セット奪取され、すぐにピンチになるのです。
しかし、ここでチャン少年は諦めませんでした。

 彼があきらめないのには理由があったのです。
その年、中国では天安門事件があり、民主化を求める若者たちが見せた勇気に心打たれたチャン。
自分もそれを原動力にして、できる限りのことをやってみよう、と決意したそうです。

 左右に球を振るレンドル。
しかし、チャンは必死に粘り、球を打ち返すように。

この粘りが、劣勢だったこの試合を大きく変えることに。
そして、ついにレンドルから1セットを奪取するのです。

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その勢いで第4セットも奪取し、ついに帝王レンドルと並ぶのです。

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そして、第5セット。
チャンの猛攻は止まらず、1ゲーム目を取り、ついにレンドルをリード。

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ところが、ここまでフルスロットルでやってきたチャンに異変が。

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実は、このときチャンの足は完全に痙攣。
立っているのがやっとだったと言います。

チャンは棄権を告げようとしました。
しかし、ここで彼の脳裏に天安門事件が浮かんだのです。

この状況から、チャンは帝王の集中力を乱すため3つの奇策を仕掛けます。

1.山なり返球作戦

少しでも時間を稼ぎ、足の屈伸をしたり、体力を回復するためにふんわりと山なりに返球する作戦。
そして、痛みが和らいだところで、一気に猛攻を仕掛けるのです。

とはいえ、もはやジャンプもできず、サーブがまともに打てなくなったチャン。
ここで2つ目の作戦を実行します。

2.アンダーサーブ

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 オーバーで打つと見せかけて、アンダーサーブを仕掛けました。
レンドルの意表を突き、ポイント奪取に成功!

3.前方に出る

 ついにマッチポイントとなったその時、チャンは帝王レンドルのサーブをかなり前方で待つ作戦に。
帝王を徹底的に揺さぶる作戦に出たのです。
これには帝王もイライラ。

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そして・・・

なんと、このサーブ、帝王がミスショット。
17歳のマイケル・チャンは、見事に世界1位に勝利したのです!

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1989年 全仏オープン決勝 vsステファン・エドバーグ

 さて、帝王レンドルを破ったチャンですが、その後も、準々決勝、準決勝と強豪を撃破!
そして、ついに決勝戦へ!

 史上最年少で4大大会の決勝に進出。しかも決勝進出自体、アジア系選手では初の出来事だったのです。

 決勝戦で対するは、過去4大大会で3度優勝したことのあるステファン・エドバーグ。

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持前のスピードと粘り強さで球に食らいついたチャン。
見事に第1セットを先取!

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 しかし、第2セットから、エドバーグの逆襲が始まるのです。
エドバーグが取った作戦は、サーブを打って返ってきた球をすかさずボレーする「サーブ&ボレー」。
エドバーグはサーブ&ボレーの名手であり、この方法で少ない手数で決着しようとしてきたのです。

面白いようにサーブ&ボレーが決まり、エドバーグはポイントを重ね、あっという間に第2セットと第3セットを奪取します。

そして、迎えた第4セット。
このセットもエドバーグ優勢で始まり、チャンは絶体絶命。

しかし、ここでチャンのプレーに変化が起こるのです。

エドバーグの球筋がわかってきたチャンは、自分の持ち味が発揮できるラリーへと持ち込んだのです。
先ほどまでのチャンとは打って変わって、どんな球でも返せるようになったチャン。

今度はエドバーグが左右に振り回されまくります。
結果、エドバーグの体力は限界に近くなります。

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チャンは驚異の巻き返しでこのセットを奪取。

迎えた第5セットも、体力の限界にきているエドバーグに対して、チャンはキレッキレッ!

そして、ついに!
マイケル・チャンは、4大大会史上最年少優勝、アジア系選手初の優勝という快挙を成し遂げるのです。

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1996年 全豪オープン決勝 vsボリス・ベッカー

 17歳の初優勝以来、チャンは、欧米勢の強豪との戦いに長い間苦しみます。

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チャンは、怪我を覚悟しながらも筋力アップに励みます。

血のにじむ努力で、上位をキープしたのです。

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そして、ついに1996年の全豪オープンで完全復活!
なんと、チャンは一回戦から1セットも落とさない快進撃を見せ、ついに決勝へ!

決勝戦の相手は、パワーテニスの代表格ともいえるボリス・ベッカー。
ベッカーもまた、準々決勝、準決勝で1セットも落としていないのです。

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決勝が始まって早々、ベッカーはチャンにパワーの違いを見せつけます。
ずっとチャンの前に立ちはだかってきたパワーテニス。

しかし、チャンはずっとこだわってきた戦い方でそれを跳ね返すのです。

粘り強く球を返す。
その姿に観客は大歓声。

とはいえ、ベッカーに押され続け、2セットを先取されてしまいます。

そんな中、声援に後押しされたチャンは、第3セット・・・

強烈なサーブを返し、リターンエース!
そして、ついに1セットを奪取します。

その後、ベッカーの力に押されてついにベッカーのマッチポイント。
最後まで粘りましたが、惜しくもチャンは破れてしまいます。

しかし、この年、チャンは世界ランキングを2位まで上げました。

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2003年脚のケガにより31歳で現役を引退するのです。

引退以降、コーチ依頼を断り続けるが・・・

 チャンの引退後、彼のもとへは、トップ選手のコーチ依頼がたくさんあったにも関わらず、チャンはすべて断り続けました。

しかし、錦織圭選手に出会い、「同じアジア人として感じることがある」とし、コーチを初めて引き受けるのです。

そして、錦織選手にアジア人1位の夢を託したのです。

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